人と動物のコラム

[2007年7月]

飼い主って何だろう

最近「飼い主」という言葉についてじっくり考えることがあります。そのきっかけとなったのは、米国人の友人に言われたことでした。
「確かに法律上はペットは物だし、私達は持ち主、飼い主だよね。でも彼等の生活を管理する我々は、その物理的な部分しかコントロールできない訳だし、彼等が何を考え、何を求めるかは実は自由・・・少し変な言い方かもしれないけれど、心は、思想は自由っていうことじゃない。つまり生きている彼等の全てに対する“Ownership(所有権)”を人間は主張できないんじゃないかな・・・」

なるほど、言われてみればそうかもしれない。「飼い主」という言葉では、もしかしたら彼等と私達の関係を表現することはできないのかもしれない、とそこで考えてしまったのです。では何と言えばよいのでしょう。共同生活者? 家族? その友人に聞いてみたら「ジョンの犬」と言うのであるから逆もあり、つまり「ポチの人間」と言えば良いのではないかと言われました。英語では“Pochi’s Person”と言っても違和感はありませんが、日本語にすると何か変な気もします。

しかし、どのような言葉を用いようとも、私の友人が言ったように、動物たちが、自ら考えることができる独立した生命体であるということを忘れてはならないのは確かでしょう。そしてそれを重んじるような生活を営んでゆかなければならないと思うのです。特に犬は、私達にとても良くついてきてくれる動物です。彼等と生活を共にしていると、ついつい色々なことをやらせてしまうことがあるのです。トレーニングやしつけをするのは何故? 生活上の問題を解決するため? それともお座りもできないのはみっともないから? それとも自分の犬を自慢したいから? アジリティやドッグスポーツをするのは何故? 自分が楽しいから? 格好良いから? 訪問活動に行くのは何故? 自分がやりたいから? 意義のあるボランティア活動だから?

活動もスポーツも自分の犬は楽しそう、とても好きそう、と思っている方々にお聞ききしたいのは、犬が「やりたい」と言ったかどうか。「そんなことわかる訳ない、それに本人も楽しそう」、「やりたがっているとしか思えない」という答えが返ってきそうです。でもまさにそうなのです・・・「そんなこともわからない」のです。それに犬は、大切な“群の仲間”である飼い主が楽しそうな笑みを浮かべたり、歓喜の声を上げる姿を見たりすることが大好きなのです。飼い主の楽しそうな様子を見て感じることがご褒美であるとすれば、そのために犬が色々なことをやっていることもあるでしょう。もちろん喜んで。

別にそれが悪いことであるとは思いません。ただ、何を言いたいのかというと、私達人間は、身近な動物の思いのほんの一部しか読み取る能力を持ち合わせていないということです。彼等が「個」として何を思い、何を望んでいるのかを正確に理解することは、多分私達にはできないでしょう。でも、それでも共に生活をしてくれている彼等を少しでも理解しようと日々努力している人間の家族は、果たして何人いるのでしょう。
本当に飼い主って一体何なのでしょう? 『こんな無理解の中で私と一緒にいてくれてありがとう』と、足元で遊んでいる同居兎に思わずささやいてしまいました。

ペット研究会「互」主宰:山崎恵子

このページのトップへ