人と動物の関係学

[2012年11月] ペット・ロス #02

ペットの死に思う

ペットロス

 ペットロスに関してはそれがいったい何であるかをここでお話をしたことがありますが、愛するペットたちの死は私たちを深い悲しみの底に突き落とすものです。しかし、沢山の動物達を見送ってきた今、過去を振り返ってみるとそれらの死の裏にある様々な意味が少し見えてきたような気がします。

引き取ったサモエド

 以前倒産したワンワン動物園のような施設から一頭の老犬を引き取ったことがありました。老犬といってもまだ8歳くらいであり普通の家庭犬であればまだまだ元気である年齢でしたが、この犬は腎臓が悪く長年に渡りあまりしっかりとした医療を受けさせてもらっていなかったために、既に腎臓の機能がほぼなくなっているような末期的状態でした。
救済に入った獣医師の方々などと共にかなり体力が低下し常時微熱に悩まされているこの子にとっては安楽死が一番ではないか、最も親切な方法なのではないかなどと話し合っていました。犬種はサモエドでした。骨格は大きくとも体重はすでにかなり落ちていました。サモエドの成犬が何とわずか13キロにまで病気のために痩せてしまっていたのです。
大変な思いをしてきたにもかかわらず温和な性格を失わずにいた彼女の横にしゃがみこみ私はさようならをしてあげる方がよいのであろうと思いつつ大きな体に触れてみました。その時彼女が私の膝の上にそっと頭を置いたのです。その瞬間私の決心が揺らぎ最後は畳の上で看取られる死を彼女に与えてやろうと決心しました。
後何日、何カ月生きられるかわからない彼女を家に連れ帰り獣医師の先生に最後まで楽な生活をさせてやるための方法を色々と教わりながら一緒の生活を始めて2カ月たったある日、彼女は居間で発作を起こしあっけなく逝ってしまいました。しかし、不思議なことにその2カ月の間は獣医師の先生に生きていられる訳がないくらい腎臓がだめになっていると言われ続けていたのです。でも彼女は元気に外にも出て、私が留守をしているときには娘の書斎に入り込んだりと家の中でも普通に動き回っていました。
そして彼女が逝ったその日は休日で家族全員がそろって居間で食事をしながらテレビを見ていたのです。文字通り「家族と一緒」の時に見事に苦しまずに逝ってくれた、そんな死に方でした。たったの2カ月でも彼女は施設にいたころとは同じ犬と思えないくらい顔も変わっていました、目が生き返っていたのです。何年もの間家で暮らしていたようなたち振る舞いをし、そして私が望んだとおりに畳の上で看取られていったのです。

リンリンが教えたもの

 終わりよければすべてよし、とは言いませんがとてもよい別れでした、彼女にとっても、そして私にとっても。確かに死は悲しいものです。できることならば皆にずっと生きていて欲しいものです。しかし、それは言うまでもなく無理な願いです。でも死をもう少しポジティブにとらえることもできるのでは...とこのサモエドが私に教えてくれたような気がします。彼女の名前はリンリンでした。今でも穏やかな彼女の死に顔をはっきりと覚えています。

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