深い意味のありそうな言葉の裏には...
「ペット・ブーム」、「ヒューマン・アニマル・ボンド」、「生命倫理の教育」などの言葉とともに、身近な動物たちが注目され始めてからすでに何十年もの月日がたっているように感じますが、最近このような深い意味のありそうな言葉の裏には、本当に薄っぺらな社会的支援や理解しか存在せぬことに気づき、とてもがっかりしています。
神戸の少年Aの事件など多数の事例で、人間に対する暴力と動物に対するそれが決して切り離すことが出来ぬものであると社会的にも取り上げられてきましたが、実のところ専門家と言われる人々の間ではこの点に対してあまり関心が持たれていないようです。
"お犬様"をやっている人
法律の専門家の間では、動物虐待などに関心を示す研究者を『"お犬様"をやっている人』などと揶揄することがあると聞きました。このような研究をすると学術の世界では軽んじられてしまうと聞かされました。
また社会学の世界でも同じようなことが起こっているようです。家庭内の暴力のなかではしばしば女性、子ども、老人とともに動物も虐待行為の被害者になってしまうことがあるという点は、だいぶ前から米国などの研究や社会調査で明らかにされてきました。しかし、日本の専門大学院の若い研究者が児童虐待と動物虐待の平行研究を行った際に、論文の審査にあたった児童虐待に関する法律の権威である教授に「動物は被害者の中に入るとは思わない」とはっきり否定的な発言をされたそうです。
2008年6月にようやく国会で可決されたペット・フードの安全基準設定に関する法案では、一時『犬猫のえさにまで法律は必要???』という一部の国会議員の大きな声が障壁となったことも事実です。
『・・・ったくもう・・・動物が大切だの、命の教育だの、ペットによる癒しだの、アニマルセラピーだの、どいつもこいつも表面的なことばかりぬかしやがって!!!!』(下品で失礼)
でも私の頭の中では大爆発が起こりそうです。
動物に優しくできるものは
人間をも大切にできる
お犬様を大切にしたことだけで後世に名を残している徳川綱吉は、実は囚人の扱いの改善や捨て子対策など社会福祉に多大な貢献をした人物なのです。ではなぜそのことが歴史上もっと認められていないのでしょうか。それはきっと『たかが犬にあのように一生懸命になっていたバカ者』であることのほうが目立つからであると同時に、その大きな意義を歴史学者が理解できなかったからでしょう。
動物に優しくできるものは人間をも大切にできる。こんな当たり前のことを社会、そして人間の本質的な現象として理解し重んじられぬ学者、政治家・・・それを表面的には口にしても本当に信じ、そしてその信念を自分の専門領域の中で生かしていくことのできぬ人間などを、文化人と呼ぶことは出来ません。自然を大切にすることは意識が高いと評されながら、私たち人間にとってもっとも身近な自然である犬や猫を大事にすること、尊重することが『B級』とされてしまうのは、いったいなぜなのでしょうか?




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